眠るヴァイオリン
「なあ・・レン。ここには幽霊が奏でるヴァイオリンがあるんだよ」
そう言われた瞬間、月森は口に運ぼうとしていたティーカップの手を休め、
らしくもなく「はっ?」と呆けた声を出した。
だが、目の前の初老の紳士はそれに眉を顰めるわけでもなく、むしろ愉快そうに微笑んだ。
ここはフランスのとある地方にある城。
月森の目の前にいるのは、この城の持ち主であるブラン伯爵だ。
今回、月森はこの城で行われる賓客を招いた演奏会のゲスト演奏者としてやってきた。
もともとブラン伯爵の息子と月森が留学先で同じ師に師事していたのが
きっかけで知り合ったのだが、伯爵が月森を大変気に入り、今もこうして付き合いが続いてい
る。
彼の先祖は昔、武勲によって伯爵の位を賜った人で、以来、この地を領地として治めて
来た。
後世になってもビジネスで成功を収めたためその裕福さは変わらず、音楽好きの彼は
この城で各界の著名人や取引相手を招いて舞踏会のような演奏会を時折催している。
今回はその演奏会に息子の友であり、プロとして世界に認められた月森に
依頼があったのだ。
本来なら個人の派手なイベントごとにはあまり関わりたがらない月森だが、彼が
才能がある若手演奏者のパトロンとして育成に力を入れているのを知っていたし、
何より人柄に信頼をおいていたので2つ返事でOKしたのだった。
そして今日、ミーティングも兼ねて挨拶をしにこの城にやってきたのだが、唐突な話題に
月森はどういったら良いのかわからず、戸惑った。
「伯爵・・それは?」
月森は躊躇いがちに英語で話しかける。
伯爵は息子のようにドイツ語は話せなかったが、英語は堪能だった。
「私が名器と呼ばれるヴァイオリンをコレクションしているのは君も知っているね?」
月森は黙って頷いた。
「最近手に入れた素晴らしいものなんだが、製作者も年代もわからない・・ラベルのない
ヴァイオリンがあってね。
本当に音色も素晴らしいんだが、夜中になると誰もいないのに悲しい音色を奏でているのを
何人もの使用人が聴いているんだ」
「だから幽霊が奏でるヴァイオリンですか・・・誰かの悪戯ということは?」
「無理だよ!コレクションルームはセキュリティを強化してるからね」
伯爵は首を横に振りながら大げさに手を左右に開いた。
「本当を言うとね。君をここに呼んだのはそのことにも関係があるんだ」
「というと?」
「夜中にこのヴァイオリンの音を聴いた使用人がね、その曲を日本に行った時に
聴いたことがあるというんだ」
「日本に来たときに・・?」
二人の表情はいつしか深刻なものとなり、身を乗り出してヒソヒソ話となっていた。
「私はね、レン。楽器にも心があると思うんだよ。製作者が込めた心というものが・・・。
もし、あの楽器に悲しいと思うことがあるのなら、それから解放してあげたいんだ。
どうかそれに手を貸してもらえないだろうか?」
手を膝の上で組み、しょんぼりと眉を下げる伯爵を見て月森は香穂子にしか
わからないほどの笑みを口元に浮かべた。
(この人は子供のような純粋な心で楽器を、音楽を愛しているんだな)
「そんな顔をしないで下さい、伯爵。俺に何が出来るか解りませんが、俺も出来る限り
手伝います」
月森の言葉に伯爵は顔を上げ、嬉しげに微笑んだ。
続いちゃいます(苦笑)
ツッコミどころがあるでしょうが大目に見てください。